願いの道へようこそ。
ここは、藍の里に息づくキャラクターたちの想いが流れる道。
それぞれが「願い」を胸に、大切な誰かのために動いている、やさしさに満ちた場所です。
藍の里のなかまたち – ものがたりを紡ぐやさしい存在たち –
【藍の滝の龍神 大和(やまと)】

藍の里のはじまりにある、静かに流れ落ちる藍の滝(あいのたき)。
その滝の奥深くに、そっとたたずむのが——龍神・大和(やまと)です。
その姿は、ふわりとした雲のようにやさしく、
話す声は風のようにやわらかい不思議な響きを持っています。
大和は、藍の里の「願いの気配」を感じ取ることができる存在。
誰かの想いが泉に届くと、滝の水音が静かに変わり、大和の心に届くのです。
普段は滝の奥で静かに眠っているけれど、
里の住人たちが迷ったとき、そっと現れて道を照らしてくれる龍神さま。
【藍の泉(あいのいずみ)】

藍の滝の水が、時をこえてゆるやかに流れつく場所。
それが、藍の泉(あいのいずみ)です。
この泉の水面には、きらきらと輝くまんまるの雫が浮かんでいます。
その雫には、人の“想い”が静かに宿り、
やがて、折り鶴の姿となって旅立つ日を待っています。
藍の泉は、ただの水ではありません。
それは“やさしさの源”であり、“願いがかたちになる場所”。
風が吹けば、泉がほほえみ、 光がさせば、雫がふわりと揺れます。
【福蔵鶴(ふっくらづる)】

藍の泉の雫に宿って生まれるのが、
ちいさくて、ふっくらした折り鶴のかたちをした存在、福蔵鶴(ふっくらづる)。
この鶴たちは、一羽一羽が「想いのつかい」。
「ありがとう」 「おめでとう」 「元気になってね」
そんな気持ちを胸に、そっと旅立っていきます。
福蔵鶴は、誰かの祈りと、藍の泉のやさしさが結ばれて生まれた贈りもの。
その足元には、透明に輝く「藍の泉の雫」が寄り添っていて、
心をあたたかく照らしてくれるのです。
【ふくりん】

ふくりんは、藍の滝のそばの祠にたたずむ、
にっこり笑顔のお地蔵さま。
赤い前掛けをして、 風や花、動物たちと「ぽふぽふ」お話をするのが大好きです。
藍の里の龍神大和(やまと)の力によって、
必要なときにはどこにでもあらわれ、
誰にでもやさしく話しかけてくれます。
「だいじょうぶじゃ」
その一言が、まるで陽だまりのように、心に灯るのです。
【ふくのん】

藍の里で生きる、ふくのん。
見た目は子どものようだけど、 年齢も正体も、
なにもかもがまだ“ひみつ”の多い子。
声はふんわり、足音はほとんどしません。
けれど、いつも誰かのそばにそっと寄り添います。
ふくのんが何者なのかは、まだ誰も知りません。
それでも、ふくのんがいるだけで、なぜかほっとするのです。
【小さな龍のやまと】

藍の滝にすむ龍神・大和の、“ちいさな姿”が、この「小さなやまと」。
ぽふぽふ〜っと雲のように漂いながら、
藍の里を旅する人のこみちをやさしく案内してくれます。
難しいことは、ふんわりやわらかい言葉で。
法律も、手しごとも、心や身体のことも、
やさしく一緒に考えてくれる存在です。
「ふわ〜ん」「ぽふぽふ」が口ぐせで、
話していると、なんだかほぐれて笑顔になってしまう不思議な龍。
【ゆっぽ】

この藍の里を描き、紡ぎ、歩いている物語の語り手。
折り鶴を折り、お地蔵さまをこね、ことばを綴る人。
やさしさや感謝、祈りを“かたち”にして、
人と人とを結ぶおしごとをしています。
ふっくら堂の手しごと人であり、
足踏みゆっぽのセラピストであり、
そして、行政書士のたまごとして、今も学びつづける日々。
藍の里は、ゆっぽの“こころのふるさと”。
そこには、大切にしたいものが、そっと宿っています。